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≪日本古典への招待≫ 奥の細道 前期講座(第1~7回) 後期講座(第8〜15回)


長島 弘明 国文学者 東京大学名誉教授

 『奥の細道』は、芭蕉(1644~94)のもっとも著名な俳諧紀行であると同時に、日本古典文学の代表作でもあります。芭蕉は元禄2(1689)年の旧暦3月27日、門人の曾良を連れて、江戸深川からみちのくの俳諧行脚に出発しました。8月下旬に大垣に着くまで、約5か月、関東・東北・北陸と、2400キロに及ぶ大旅行です。様々な歌枕や歴史上の旧跡をめぐり、大勢の人と出会い、沢山の名句を残しています。

 『奥の細道』はこの旅をもとにした紀行ですが、事実そのままの記録ではありません。旅で体験した事実を素材としながら、それに虚構を加えた創作なのです。そういう視点で、『奥の細道』をご一緒に読んで行きたいと思います。

  • 第一回 芭蕉と『奥の細道』

 芭蕉の俳人としての略歴と、5つの紀行文について触れてから、その中でももっとも優れた『奥の細道』について解説します。一番最初の草稿である「芭蕉自筆本」(「野坡本」「中尾本」ともいう)から芭蕉が最後まで所持していた定稿本である「西村本」まで、『奥の細道』の諸本をざっと紹介し、また『奥の細道』の執筆時期について簡単に説明した上で、『奥の細道』が事実と虚構をないまぜにした一種の私小説であることを述べます。

  • 第二回 発端・旅立ち・草加

 『奥の細道』の旅を思い立った経緯から、深川の草庵を出発し、第一泊目の宿場である草加に着いたところまでを読んでいきます。冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」にこめられた芭蕉の思想にふれ、また『曾良随行日記』によれば、一泊目は草加ではなく、ずっと先の春日部まで行って泊まっているなど、『奥の細道』には随所に文学的な虚構がほどこされていることを説明します。

  • 第三回 室の八島・日光・那須野

 室の八島では、その地に伝わる、木の花咲耶姫(このはなさくやひめ)とコノシロの伝説について、また日光では、そこで実際に詠まれた「あらたふと木の下暗(やみ)も日の光」の句が、『奥の細道』では「あらたうと青葉若葉の日の光」と改作された理由について、那須野では、『奥の細道』の中でもっとも愛らしい登場人物である「かさね」という名の少女の描写について、それぞれ丹念に見てゆくことにしましょう。

  • 第四回 黒羽、雲巌寺、殺生石・遊行柳

 14日間にわたって滞在した黒羽の条では、犬追物の跡や玉藻の前の古墳、那須の与一にゆかりの社寺など、多くの古跡を見たことが記されていますが、雲巌寺の条では一転して、芭蕉の参禅の師である仏頂和尚の山居修行の跡一つに焦点が当てられています。また殺生石・遊行柳では、能の舞台でもある有名な二つの旧跡に触れています。新古さまざまな名所旧跡を、あるいは軍記の一節を引用し、あるいは知人の和歌を掲げ、あるいは能の場面を背景とするなど、巧みに書き分けていることをじっくり味わいたいと思います。

  • 第五回 白川の関、須賀川、浅香山・信夫の里

 奥州の入口である白河の関。そこに行ったふりをして歌を詠んだ能因や、その能因に敬意を表し、冠装束を正して通った国行ら、昔の風狂人の面影に心惹かれながら、芭蕉もこの関の跡を越えます。次の須賀川では、それら風狂の人とは対照的な、求道的隠者俳人の可伸に心打たれる芭蕉の姿が描かれています。浅香山・信夫の里では、伝説に出てくる花がつみ、しのぶもぢ摺りの石、黒塚の岩屋が、今では分からなくなっていたり様変わりしていたりするのを知った芭蕉の、やや呆然としたような書きぶりが印象的です。

  • 第六回 飯塚の里、笠島、武隈の松

 飯塚の里では、源義経の側近でともに非業の死をとげた佐藤継信・忠信兄弟やその嫁の古跡に涙します。東北や北陸に残る、源平の哀史の中心人物である義経と木曽義仲の古跡めぐりという、『奥の細道』の旅の隠れたモチーフの一つが、初めて登場する場面です。笠島では藤原実方の墓が探し当てられず、逆に武隈の松は何度も植え替えられながらも、昔を偲ばせる姿で残っていますが、その対照的なあり方の描写を味読しましょう。

  • 第七回 宮城野、壺の碑(いしぶみ)、末の松山・塩竃

 画工加右衛門の古跡考証の功もあってでしょうか、歌枕の宮城野の萩の場所に立つことができた芭蕉は、さらに多賀城で坂上田村麻呂が建てたという壺の碑(実は多賀城碑)を、塩竃明神で和泉三郎が寄進した宝燈を見ます。昔の面影をしのぶことができないほど荒廃した名所旧跡が多い中、この金石でできた碑と宝燈は文字通り不朽の存在で、田村麻呂や和泉三郎の逝去の後も少しも姿をかえることがないことに、彫られた文字を見ながら落涙するほど感激する芭蕉の姿が胸を打ちます。

  • 第八回 松島、瑞巌寺、石巻

 『奥の細道』の旅で芭蕉が訪れた歌枕の中でも、もっとも著名な場所の一つ、松島を中心とした条です。松島の風景を述べた箇所は、漢詩文の影響を受け、対句を多く用いた荘重な名文となっています。旅も半ばにさしかかり、松島、平泉、象潟と、このあたりからクライマックスの場面が次々に登場してくるので、『奥の細道』の場面の配置の仕方、すなわち構成法について、連句の歌仙に倣った構成をとっているのではないかとする説を参考にしながら考えてみたいと思います。

  • 第九回 平泉、尿前の関、尾花沢

 藤原三代のはかない栄華と、源義経の悲劇的な最期にふれた平泉の条は、松島や象潟のような風光明媚な歌枕と違い、悲しい歴史の記憶が染みついた、もう一つの意味での名所です。自然の悠久と人生の儚さの対比、それはこの頃芭蕉が考えていた「不易流行」の理念とも一脈通じるものです。尿前の関でのわびしい体験は、旅の憂さつらさをよく読者に伝えてくれます。この回では、自筆本の出現により、従来の本文が間違いらしいとわかった箇所、読みがわからなかった漢字の読み方が決まった箇所についても説明します。

  • 第十回 立石寺、最上川、出羽三山

 太平洋側から日本海側へと歩みを進めていく箇所です。最上川の条に、「五月雨を集めて早し最上川」という名句が出てきますが、この句の初案である「さみだれをあつめてすゞしもがみ川」の句は、芭蕉が実際に最上川下りを体験する四日も前に、連句の会で詠まれたものです。初案と改作句を比較して、『奥の細道』における虚構の問題、あるいは実際に連句会で詠まれた発句と、『奥の細道』の中に書き入れるために改作された発句との違いを、丁寧に説明したいと思います。

  • 第十一回 酒田、象潟、越後路

 同じ名所でありながら、松島とは対照的な筆致で描写されている象潟の条を、味読したいと思います。また、酒田の条で出て来る淵庵不玉は、お医者さんで芭蕉の指導も受けた人ですが、芭蕉が『奥の細道』の頃に考えを固めた「不易流行」の論や、『奥の細道』の旅あたりから考え始めたという晩年の「かるみ」の論について、不玉が芭蕉の弟子の去来に質問したやりとりが、『奥の細道』の旅の成果と言ってもいい「不易流行」論・「かるみ」論の最上の解説になっていますので、ここで触れることにします。

  • 第十二回 市振、越中路、金沢

 哀れを誘う遊女二人との同宿を記した市振の条は、西行と江口の遊女とのやり取りを思い起こさせますが、実はまったくの虚構であったことを説明し、女性が登場することが少ない『奥の細道』において、那須野の「かさね」という少女が登場する場面との明暗の対照をはかるためにこの条が創作されたことを指摘します。連句の中では、自然美を詠んだ月花の句に対し、人情美の粋である恋を詠んだ恋の句が重んじられますが、この市振の条は、『奥の細道』を連句と見立てた時、恋の句に当たることもお話ししたいと思います。

  • 第十三回 多太神社、那谷、山中、別離、全昌寺

 多太神社の条で、白髪を黒く染めて戦に臨んだ斎藤実盛が出てきますが、白髪の老武者の奮戦と戦死は、平泉の条で、曾良が「卯の花に兼房見ゆる白毛(しらが)かな」と詠んだ、義経妻子の自害を見届けて死んだ十郎権頭(ごんのかみ)兼房にも共通します。源平の哀話の一つの極地というべきでしょう。腹の病気のため、曾良は芭蕉と別れ一足先に行くことになります。「今日よりや」の句からは、芭蕉の一人旅の心細さが伝わってきます。

  • 第十四回 汐越の松、天龍寺・永平寺、福井、敦賀

 『奥の細道』の旅も終わりに近づき、序破急でいえば「急」にあたり、速いテンポで紀行文はつづられてゆきます。福井から敦賀までの行程は、「白根が岳(だけ)」「比那(ひな)が嵩(だけ)」「あさむづの橋」「玉江」(以下略)と、地名が列挙されているだけでどんどん進んでいきます。そんな中で福井の等栽という隠者俳人に関する話は、須賀川の条に書かれていた隠者俳人(栗斎)の箇所とは違って、軽妙・滑稽な筆致で書かれていて印象的です。

  • 第十五回 種(いろ)の浜、大垣、跋

 大垣に着き、門弟や知り合集まってきて芭蕉をねぎらう箇所は、ちょうど旅立ちの条で、親しい者達が芭蕉等を送る箇所に対応しています。末尾の「蛤の」の句と、旅立ちの「行く春や」の句の照応も、明らかに芭蕉の意図によるものです。大垣到着で『奥の細道』は実質終わっているのに、さらに伊勢参宮の旅へ出発する所で終わっているのは、一つの旅の終わりは新たな旅の始まりであり、旅は永遠に続くということでしょう。「月日は百代の過客」であり、人は「日々旅にして、旅を栖とす」るのです。

 

講座名 ≪日本古典への招待≫ 奥の細道 前期講座(第1~7回) 後期講座(第8〜15回)
講師 長島 弘明 国文学者 東京大学名誉教授
回数 全7回 ※本動画はストリーム配信です
期間 配信期間:2025年4月1日〜9月30日 受講生には視聴するURLとパスワードをお知らせします。
受講料 前期:全7回11,550円(税込) 後期:全8回13,200円(税込)
場所 山梨文化学園本校
住所:〒400-8545 甲府市北口2-6-10 アネックスⅢ [地図]
電話:055-267-9155

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